アユタヤ日本人町

アユタヤ日本人町

アユタヤは以前よりその立地を活かし貿易の中心として賑わっていましたがウートーン候後のラーマティボディがアユタヤを首都としアユタヤ王朝を起こしたことによりさらに発展し15,16世紀には国際貿易、商業都市としてヨーロッパ、インド、中国、日本などと交易し栄えていきました。

このころ日本人の商人たちが多数アユタヤを訪れるようになり日本人町が形成され最盛期には3000人に達したといわれています。この日本人町の町長、

山田長政

は 22代ソンタム王から官位を与たえられました。

日本からアユタヤへは主に武器などを輸出し、日本はアユタヤより皮革製品を主に輸入していました。

また日本で起きた関ヶ原の戦いなどの後、君主を失った武士たちがアユタヤに集まりビルマ侵入を防ぐため傭兵としてアユタヤ王朝に仕えました。傭兵の数は800人にも達したとされ政治的にも影響力を持つようになりました。

17世紀プラーサートトーンが王位に就くと貿易を王室のみに限定し、同時期江戸幕府も鎖国令を出しその後アユタヤ日本人町は衰退、消滅しました。