アユタヤ王朝

アユタヤ王朝(1351年-1767)はアユタヤを首都とするチャオプラヤー川,パーサック川,ロッブリー川の合流点に栄えたラーマーティボーディー1世国王 (1351 – 1369) により起こされた王朝です。

アユタヤ王朝

ラーマーティボーディー1世国王はダルマラージャ( 仏教の教えに基づく道徳のこと)の思想を元に仏教においての理想の国作りを目指し国を統治していました。

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アユタヤ王朝8代目ロッブリー家のサームプラヤー国王、 ボーロマラーチャーティラート2世(สมเด็จเจ้าพระยาบรมราชาธิราชที่ ๒) (1424年 – 1448年)はクメール王朝のアンコール・トムを攻略しその時捕えたクメールの捕虜よりヒンドゥー教、バラモン教の思想が伝わりました。

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その影響でそれ以後デーヴァ・ラージャ(王は神の化身である)の思想をもって国を統治するようになりました。

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16世紀よりビルマのアユタヤへの攻撃が始まり1569年 ビルマのタウングー朝バインナウン王によりアユタヤが陥落しました。

アユタヤ王朝21代目サンペット2世
(สมเด็จพระสรรเพชญ์ที่ ๒)、 ナレースワン国王(1590 – 1605 )によりアユタヤがビルマから独立し再興されました。

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ナレースワン国王の幼少期はビルマで人質となっておりそこで戦術を学びました。

1569年アユタヤ陥落後、父王がナレースワンをビルマから取り戻すため娘のスパンカンラヤーをビルマ王の妻としてさしだし、ナレースワンは戻ってくることができました。

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ナレースワンはアユタヤ王朝独立のため兵士たちを訓令し、その武道がムエタイの原形となりました。1574年ナレースワンはアユタヤ王朝の独立を宣言しました。なおナレースワン国王はタイ三大王の1人です。

スリヤートアマリン国王(1758 – 1767 )の時1767年、ビルマによりアユタヤが陥落しました。
諸外国との関係
中国人商人はラーマーティボーディ1世の時代よりアユタヤ王朝との関係は良好でアユタヤ市街地に唯一外国人で居住を許されていました。

アユタヤ王朝の特産品である米の需要が中国南部で高かったこともその理由の1つとして上げられます。

日本人は15世紀にはその姿が見られましたが16世紀後半から17世紀にかけてその勢力が大きくなりました 。そのころアユタヤ日本人町も形成されました。

16,17世紀ポルトガル、イギリス、オランダを初めとする欧州諸国との関係も良好でした。